変わりゆく時代とともに姿を変え続ける組紐
江戸における組紐の始まりは1603年以降、徳川幕府の開設にまで遡ります。組紐作りを今で言う内職とする武士が江戸に集中するようになると同時に、組紐生産の中心が京都から江戸へと移り変わりました。当時の組紐は、武士の鎧や刀を腰紐に結びつける「下緒」として用いられていましたが、戦争は終わり明治時代には廃刀令による需要の激減を受け、後に女性の帯締めや小物へと変化し、あらたな組紐文化へと発展してきました。
桐生堂の誕生は、組紐が新たな時代を迎えた明治初頭、今から約150年前の1876年にさかのぼります。組紐の原材料となる生糸の名産地である群馬県桐生市の組紐職人が上京し、羽織紐や懐中時計紐の専門業者として創業。組紐が帯締めに使われる時流を捉え、日本全国の有名問屋や百貨店との取引に商機を見出しました。
帯締め羽織紐などの和装から、組紐の繊細なデザインを生かした髪留めやブレスレット、ストラップといったファッション小物へ進出。平成には直売小売店を2店舗展開するなど、時代の流れに合わせながら組紐の普及に尽力しています。
糸の組み合わせは一期一会。世界でひとつの組紐ブレスレットの制作体験
本体験では、8個の糸束を使いブレスレットを制作していただきます。まずはご自身が組む糸の束選びです。絹糸で作られた糸の束は、あらかじめ職人が用意してくれています。糸の組み合わせはその時々によって異なるため、どの組み合わせと出会えるかは一期一会。色とりどりの糸の束の中から、心に残るお気に入りの1セットを手に取りましょう。
組み上げる時の糸の配置により全く違うデザインに仕上がります。
選んだ糸の束をセットするのは「角台(かくだい)」と呼ばれる組紐専用の組み台。組んだ紐が上に伸びていくため、仕上がりを確認しやすいのが特徴の台です。8個の糸束を前後左右に2本ずつ配置し終えたなら、職人の見本を見ながら組紐作りを始めましょう。
均等に並んだ組目は、心の平穏を映し出す鏡のような存在
糸の先にある「玉」と呼ばれる錘のやさしい重みを感じながら、対角線上にある糸をリズムよく移動させます。正面奥の糸を左側へ、手前の糸を右側へ。2本の糸を対称的に動かすたびに、ゆっくりと少しずつ紐が組み上がっていきます。はじめのうちは糸の動かし方がわからず、恐る恐る動かすかもしれません。しかし、不安なのは最初だけ。コロン、コロンと優しい玉の音だけが耳に残るようになる頃には、無心のまま手を動かせるようになっているはずです。
糸を動かし続け、玉に結ばれた糸が短くなった頃にはご自身の手首を2周するほどの長さの組紐が仕上がっています。最後に職人が紐の両端を切り金具を接着すれば、あなただけの組紐ブレスレットが完成です。目の前の糸だけに集中して組み上げた紐紐ですが、組み違いや組み目の不揃いが起こっている事もあります。完璧とは言えなくとも自身で手掛けた作品を見ながら、無心で紐に向き合った浅草の思い出を振り返ってみてください。
生活の中でおしゃれを楽しむ、江戸っ子の“粋”に触れる
落ち着いた風合いの中にある、さりげないおしゃれ。「大人しい色使いの中にキラリと光る、繊細なこだわりを感じ取ってほしいですね」と、桐生堂六代目・羽田雄治氏は目を輝かせます。組紐の在り方に息づく、生活の中に”粋”を求める江戸っ子の心意気。手首にブレスレットを巻く時には、江戸っ子が受け継ぐおしゃれに想いを馳せるのはいかがでしょうか。
1876(明治9)年、生糸の生産地である群馬県桐生市出身の組紐職人が上京し創業。懐中時計紐の専門業者から始まり、帯締めや羽織紐へと事業を拡大する。六代にわたり継承を続ける江戸組紐は江戸落語の噺家の羽織紐に選ばれるなど愛好者多数。近年は観音通りメトロ商店街に直営店を2店舗構え、ストラップや髪飾り、ブレスレットなど多彩な商品を世に送り出している。