欧州のおしゃれで日本の街を飾る市原の洋傘
雨露から身を守る雨具として、おしゃれな小物のひとつとして人々の生活に溶け込む洋傘。日本における洋傘は、江戸から明治へと時代が移り変わろうとしていた1854年に上陸しました。「黒船来航」で知られるペリーと同じ船に乗船した水兵が持ち込んだ傘が始まりとなり、明治初期には富裕層のおしゃれとして普及。時代が大正、昭和へ移り変わるとともに、誰もが手にする日用品や晴れの日のおしゃれとして発展していきました。
戦後復興による経済活動の活発化が著しい1946(昭和21)年、市原はベルトやサスペンダーといった紳士用品販売業として創業しました。百貨店相手の卸を主事業としていましたが、市場に紳士用洋傘がほとんど存在しないことに気がついた初代が一念発起。1968(昭和43)年頃より、本場・ヨーロッパのデザインを日本の気候に適した傘に落とし込んだ、職人の手作りによる紳士用洋傘の製造・販売をスタートしました。
同社の洋傘の最大の特徴が「谷落ち張り」と呼ばれる技法です。骨と骨の間を結ぶ生地が美しいアーチを描く縫製は、市原だけのオリジナル。コウモリの翼のようにしなる妖艶なシルエットは、一目で市原が大切にしてきた美意識と、他の追従を許さない高い技術の存在を物語ります。
針と糸、生地と骨に向き合う洋傘作り
本体験の始まりは、申込時の生地選びから始まります。ここで選択した絵柄の生地を使い、体験当日までに職人が傘の形へと縫製を済ませます。伝統的なブリティッシュデザインを想わせる絵柄は、全部で4種類。ご自身が傘を差して街を歩く姿をイメージしながら選びましょう。
体験当日は東京洋傘の歴史や市原の技法のレクチャーからスタート。学びの時間の後は、傘作りの工程のひとつである”縫い”を体験していただきます。
まずはミシンを使った縫い方体験から。市原のミシンは、アメリカで生まれたシンガーミシンと同仕様型機で1914年創業のペガサス社製ミシンを使用し続け、今も東京洋傘作の主力。長年、市原の傘を生み出し続けた相棒のようなミシンからは「良いものを長く使う」という伝統工芸の精神を感じ取れるでしょう。
実際に縫う体験は、ご自身が持ち帰る傘の生地を使用します。事前に選んだデザインの柄は、職人の手によって8本骨用の傘の形に縫製済み。すでに傘に縫い合わせてある箇所を参考に、数本の骨と生地を縫い合わせましょう。
縫い合わせの工程は「つゆ先付け」と「中綴じ」の2つ。つゆ先とは、雨露が流れ落ちる傘の先端部分のこと。ピンと張りのある傘になるかは、どれだけつゆ先としっかり縫い合わせできるかにかかっています。さらに生地と骨をしっかりと結びつける「中綴じ」により、傘全体のフォルムに一体感が生まれます。細かい針仕事には、普段の生活にはない集中力が求められます。針と糸、生地と骨だけが視界に入る時間は、周囲の喧噪から離れて自分と向き合う一時になってくれるでしょう。
体験の最後は「天紙」作り。天紙とは、傘の頂点天かがり部の星形部分を隠す布のこと。閉じたときにロクロと布の摩擦を防ぎ、傘を長持ちさせる重要な役割も担っています。重厚なハンドプレスで抜いた布を、傘の内側にセットすれば完成。ご自身の手で作り上げた傘を手にした時には、最後まで傘に向き合った達成感と自分だけの傘を手に入れた満足感に包まれることでしょう。
傘はいつも寄り添ってくれる人生のパートナー
一本一本手作業で作られた傘は、日用品の枠を越えた芸術品であるといえます。大切に使えば何年も何十年も使える傘は、どんな天気の日にも寄り添ってくれる人生のパートナーともいえる存在です。
四代目・奥田正子氏は「お気に入りの傘を差せば、雨の日でも心は晴れやかになります。ぜひ指先を使って作り上げた傘を大切に、傘を差す楽しみを感じてほしい」といいます。雨の日も晴れの日も体験で感じた伝統と技術を思い出しながら、お気に入りの傘を差す時間を楽しんでください。