ひな人形作りの技術と伝統的な甲冑作りの技法が融合した「忠保の甲冑」
日本において、現代に伝わる甲冑が形作られたのは8世紀頃からと言われています。「甲」は鎧、「冑」は兜のこと。武将が騎馬に乗り始めた平安時代以降、弓矢から身を守るための防具として発展しました。戦場で生き残るための機能性に加え、武士の地位や威厳を示すための装飾美の両面が求められた甲冑は、当時から金工、漆工、染織皮革といった技術の粋が結集された工芸品としての側面があったといいます。
大越忠が誕生したのは1947(昭和22)年、当代の祖母である初代・大越忠氏により荒川区にて創業しました。幼少期には静岡でひな人形作りの修行を重ねていた忠氏でしたが、「ひな人形に釘を打つのが忍びない」という理由から、五月人形作りへの転身を決意。甲冑作りの職人の下で修行した後に、東京都荒川区で創業しました。
1964(昭和39)年には事業拡大にともない、埼玉県越谷市に「株式会社大越忠製作所」を設立。ひな人形作りで磨いた繊細な装飾技術と伝統的な甲冑製作の技法を融合した「忠保の甲冑」は、時代が移り変わった今も子どもの健やかな成長を祈念する飾り物として愛され続けています。
1,768通りの組み合わせから自分だけのオリジナル兜をデザイン
本プランでは甲冑の歴史を学んだ後、オリジナルのミニチュア兜作りを体験していただきます。始まりは、職人が甲冑作りに向き合う工房の見学から。ひとつの甲冑が完成するまでに必要な工程は5,000以上にのぼり、100人以上の職人が関わると言われています。工房で見学できる工程はその一部に過ぎませんが、専門の職人が生涯を賭して技術を研鑽する姿に、伝統が受け継がれてきた時間の重みを感じられることでしょう。
続いて、本体験のメインとなる兜作りです。戦国時代の兜を模したミニチュア兜を構成する部品は「前立て」「鉢」「吹返し」「忍び緒」「耳糸」「しころ」の6つ。徳川家康・伊達政宗・上杉謙信の前立てなどから、好みの色やデザインの部品を選んでいただきます。それぞれの部品の色・形の組み合わせは1,768通り。憧れの武将をイメージしたデザインや自分好みのカラーリングなど、感性の赴くままに自分だけの組み合わせを選びましょう。
兜が兼ね備える機能と装飾。美しさの中にある合理性を感じ取る
製作体験は「威し(おどし)」からスタートです。威しの語源は「糸を通す」から。首を守る部位であるしころに耳糸を通す作業を指しています。人形作りにおけるしころは大きな板状ですが、戦国時代のしころは短冊状の金板「小札(こざね)」を糸や革紐で結んで作られていました。しころは色鮮やかな耳糸が武将の存在感を際立たせることに加え、弓矢や刀から武将の首元を守る強靱な防具としての役割も担います。
機能美と装飾性を兼ね備えたしころは、甲冑に対する武将の要求を象徴する部位のひとつです。一本の耳糸をしころに通していく細やかな作業から、戦国の世に根付いていた美意識と合理性を感じ取れることでしょう。
しころに耳糸を通した後は、各パーツをつなぎ合わせていきます。頭を覆う鉢に、兜を頭に固定するための忍び緒を固定し、前立て、吹返し、しころを組み合わせた後は、最後に忍び緒を結べば完成です。忍び緒の結び方は、魔除けや厄除けの意味を持つと言われる「総角(あげまき)結び」です。簡単にほどけることがないよう、家族の健康を願いながらじっくりと美しい結び目を作りましょう。
家族の未来を守る兜とともに
体験の最後には戦国時代にタイムスリップ。レプリカの甲冑を着用し、戦国武将気分を味わいましょう。ずっしりと感じる重さは、総重量10kg以上。甲冑が持つ意味を感じながら、戦場を駆ける武将へ思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
三代目・大越保広氏は「兜は子どもの成長と健康を祈念して飾られるもの。思いを込めて兜を作り上げた思い出とともに大切にして欲しい」と話します。自宅に兜を飾るときには、ぜひ体験の日から続く明るい家族の未来を思い浮かべてください。
1947(昭和22)年、当代の祖母である初代・大越忠氏が人形師から独立し荒川区にて創業。繊細な装飾を施した美しい甲冑は「忠保の甲冑」として内外から高く評価される。1964(昭和39)年の法人化以降も変わらず甲冑作りに取り組み、入念な時代考証と豊富な経験に裏打ちされた精細な甲冑を生み出し続けている。